「To become someone someday.」−いつか何者かになるため–
【和久井大城ロングインタビュー・前半】

和久井大城 TEAM SATAとコラボ

新進気鋭の若きエンターテイナーとして、今注目を集めている俳優・和久井大城。彼の活躍は俳優だけに留まらず、脚本家、演出家と3つの顔を持つ。若くして演劇を多方面から作りあげる感性と経験は、「いずれ何者かになるため。」そう彼は表情豊かに語る。和久井さんの演劇人生とこれからを、SATAオリジナル『和久井大城 人生グラフ』を使って、紐解いていく。和久井さんのいままでの演劇人生と将来のビジョンをご自身の主観で、GoodからBadまで波線グラフにして頂いた。 

和久井大城の申請グラフ 和久井大城ホワイトボードに書く

––描いて頂いた人生グラフを元にお話を聞かせてください。

お芝居の世界に入るきっかけは高校三年生。何かをした気になりたかった俺は、決して上手くはなかったけど、十年間近くサッカーを続けていた。夏の引退の時期になり、ようやく「俺は何になりたいんだろう」と真剣に考え始めた。サッカー部部長を務める傍ら、実は勉強もそこそこ出来たから、とりあえずいい大学に進学しようと思った。

––サッカーに勉強、文武両道の優等生だったんですね。

意外だよね。頑張った結果、そこそこの大学の推薦を手に入れることが出来た。気楽に残りの高校生活を楽しもうと思った俺は、高校最後の文化祭で出し物をすることに決めた。ちょうど仲の良い親友が「演劇やろう」と誘ってくれたけど、正直演劇に抵抗があったし、あんまり乗り気ではなかった。だけど親友がとても面白い人だったし、何か新しいことをしたかった俺は、その話に乗っかった。二人だけでは少ないから、あと二人面白いやつを集めて四人で『劇団ホームラン』という、激ダサいチーム名で演劇をすることに。 

和久井大城インタビュー

––人生初めての演劇はどのように作りましたか。 

もちろん一度も脚本を書いたことがなかったので、とりあえず全員であらすじを作って、詳しいストーリーとセリフはエチュードをしながら決めていった。慣れないながらも四人で「今のこれ面白いね、使っていこう」と、気がついたら二時間ものの作品になってた。なんと、文化祭で学内賞が貰えるほどに大成功したんだ。

––成功した文化祭での演劇が和久井さんにとって最初の転機だったのですね。

その文化祭の演劇がこの世界に入る最初のきっかけ。でもその当時は役者を職業にするつもりはなかったし、「人前でなんかやれたらいいな」ぐらいにしか思ってなかった。試しに演劇をやってみて、「俺がやりたかったのは、これだったのでは」と気づくことができたのは、すごくラッキーなことだった。そこからの行動は早かった。役者になるために時間を使おうと考えたから、大学の推薦は蹴ったよ。

––進学ではなく役者の道を選んだ時、周りの反応はどうでしたか。

家族には当たり前だけど、すごくびっくりされたし、先生にも「一時の感情でやるものじゃない。お前は成績もいいし、よく考えろ」と一蹴されてしまった。俺自身も将来に対しての不安は少しあったけど、演劇をやりたい気持ちの方が大きかったし、もしかしたら演劇で食べていけるかもしれないという、希望もあった。何より、初めてやりたいことが見つけられたから全力で取り組もうと思った。

––高校卒業後のお話をお願いします。 

高校卒業から一年半はバイトをしながら、お芝居が学べる場所に通った。保育園の保育助手からライブハウスのバーテンダーまで、いろいろな種類のバイトを経験した後に、20歳で今の事務所に所属を決めた。

––今の事務所に入った経緯を教えてください。

事務所の面接の時、社長に「一人暮らしをしたい」と言ったら「それはダメ。自立するのは大事だけど、本当にこの世界でやりたいなら、100パーセントこの世界だけに費やせる時間を作りなさい」とすごく叱られた。今日初めて会ったばかりなのに、すごく俺のことを考えてくれて、母親みたいな社長さんだったから、この事務所にしたんだ。

和久井大城インタビュー

––当時から役者・脚本家・演出家として、マルチに活動することは考えていましたか。

最初は役者一本で、色々な仕事を貰っていたけど、23歳の時に、『爆走おとな小学生』という劇団をやっている同い年の友人から、初めて脚本の仕事を貰った。彼は俺のブログを常々面白いと言ってくれており、「脚本も面白く書いてくれるのではないか」と思っていたらしい。元々演劇のストーリーを作るってことに興味があったので、そこで初めて脚本を書くことに。その作品で脚本以外にも、演出・主演をやって(最初は脚本・主演/再演は演出・別役で出演)初めて作り手の面白さを感じた。

––僕たち大学生と同じ23歳までの時期、どのような気持ちで芝居に望んでいましたか。

きっと大学行きながらも芝居はできたと思う。でもそれが許せなかったのは、「大学行くことで保険をかけているのでは」と思ったからだ。この世界で本当にやって行きたいのなら、保険をかけるのではなく、そこに全力を注ぐべきだと考えていた。それはプロだからという意味もあるし、プライドをかけなきゃいけない。とは言っても、中には同い年でもこの世界を舐めている人だっているし、そんな人を見てびっくりすることもあるけど、「自分は自分」と思ってる。反面教師を見て、こういう風にはならないようにしようと心がけることは意外と大事なことだ。

––今まで順調に進んでいたのに、25歳でグラフが途切れてしまっています。何があったのですか。

それは俺の人生の大失敗。25歳の夏、殺陣の練習をしている時に、膝の前十字靭帯を断裂する大怪我を負ってしまった。秋冬まで自分の出演作品が決まっていたけど、全て降板になり、半年間ずっとスケジュールが白紙。その時はもうこの世界を辞めようと思った。たとえ復帰したとしても、仕事が無いんじゃないかという恐怖でいっぱいだった。怪我をしたことで降板の印象が大きく付いた上に、自己管理ができない人だと思われてもしょうがない世界だから。半年間、病室で自分はそんな状況で何が出来るのだろうかと考えた結果、パソコンは使えるから脚本を書こうと思った。

和久井大城さんグラフを書く

––途切れたグラフの直線部分が脚本の制作期間なのですね。 

実は23歳の時に脚本を書かせてくれた『爆走おとな小学生』が脚本の仕事を3本くれたんだ。半年間で3本脚本を書くのは相当大変だけど、乗っかる以外に選択肢がないから、必死で頑張った。ようやく3月に復帰した直後、主演でオファーを頂けたので、もう1回ゼロからやり直そうと心を引き締め、自分自身をリセット。それからはありがたいことに、オファーが全く耐えず、とても忙しかったけど、自分が演劇に世界に求められていることが実感できた。怪我の半年間は周りの人にたくさんの迷惑かけたし、役者として大損害だったけど、ちゃんと意味のある時間だったと今なら思える。

和久井大城 インタビュー

––30歳で三木聡映画・松尾スズキ作品出演とグラフに書いてありますね。 

ずっと好きだった三木聡監督作品と松尾スズキさんの『大人計画』に30歳までに出演する。これはこの世界に入った時から、目標にしてきたこと。でも実は「一生役者でいたい」と、熱くは語れないと思っている。辞め時を考えたことはまだないけど、一番わかりやすいのは需要がなくなった時。役者はアイドルとは違って、いくつになっても出来るけど、パッとせずに40、50歳までだらだらと役者しているのは違うと思う。だから『35歳で結婚』は、35歳までに役者として何者かになっていて、家庭を持てるくらいの経済力を持ちたいという意味で書いた。

––役者として、和久井大城として、大成するために掲げていることを教えてください。

仮に、35歳の俺が役者を辞めていて、結婚してサラリーマンになっていたとしても、今の考え方だったら全然納得できる。やるならしっかりやって、何者かになる、それはどんな未来でも言えることだ。そのためにはこれから先、感性が動かされるものに向かって動き、挑戦し続けなければいけない。役者は楽しいことばかりではないけど、周りから求められているから続けられるし、素晴らしいと誇れる。たとえ将来コンビニの店長になっても、しっかり誇りを持てたらそれで良いんだ。常に誇りを持って仕事をしたい。役者でなくなっても、それが自分自身の幸せに繋がると思うから。

––後編へ続く

記事 木村彩華

和久井大城 アー写

和久井大城(わくいだいき)1993年1月16日、東京生まれ。タイムリーオフィス所属の俳優。多数、脚本、演出も手がける若手の注目株。 

〈代表作〉

「最遊記歌劇伝〜異聞〜」/「バクバスターズ」/ teamキーチェーン「徒花」

脚本:「こっちにおいで、ジョセフィーヌ 」/「あたしをくらえ。」 

〈今後の予定〉 4月22日〜28日「Second you sleep」/ 5月17日〜21日 teamキーチェーン「ねこのはこにわ」主演