JIU Professional ~クリエイティブ人からキャリア編成を学ぶ~
【城西国際大学助教:中川晃先生パーソナルインタビュー】
−大学の助教に4月からなられたということで、どのような分野、科目を教えておられるのか詳しく教えていただけますか。
中川:
私が教えているのは主にステージ分野です。具体的な内容は、ステージに関わる制作やスタッフ、テクニカルな部分だと照明音響美術、そういったスタッフの養成をすることです。ここまではHPに載っていることになりますが、ここで一つポイントになるのが、「なぜ城西国際大学メディア学部でステージスタッフを育成するのか」ということです。実際、ステージスタッフの育成は専門学校でも行われていますが、社会に出た時、必要となるのは技能だけではないのです。将来的にどのような立ち位置にいるかと考えた際に、必要になるのは4年制の総合大学で学ぶようなマネジメントの要素です。
スキルとマネジメント、どちらの要素も4年間で効率よく学ぶことができるのが、メディア学部のステージ分野の強みだと考えています。また他にも、オープンキャンパス、ステージデザインの授業で行われる発表会や音楽ライブなど、学校内外に向けた発表の場がこの大学には沢山あります。それらは普段学ぶスキルとマネジメントの学びを活用して、ものを作り上げるという、アウトプットの機会として、とても有効的です。私はまだ大学助教に着任してから4ヶ月ほどになりますが、このような考えで教えています。
−大学助教になる前まで、どのようなお仕事をされてきましたか。
中川:
東京藝術大学を卒業してすぐに、NHKの番組制作局の映像デザイン部に専門職として、就職しました。そこでは200本ほど、番組の制作に携わりました。特に忙しい時は、2年間で一般番組や報道番組を150本、1週間で3〜4本作っていました。今の、同時にいくつも考えられる器用さはその大変な時代から来ているものだと思います。NHKで7年間働いたのちに、オリエンタルランドに転職しました。
配属先である技術本部で10年ほど、設計部やプロジェクトチームなど様々なことに携わりました。そして、今に至るというのが大きな流れです。仕事履歴の話で行くと、会社に勤めたのはNHKとオリエンタルランドと城西国際大学のこの3つしか無いのですが、本質的な意味での自身が学んだキャリアというのが、実はまた別にあるのです。
−そこのお話を是非詳しくお聞かせてください。
中川:
NHKに入る前にいたデザインの会社がターニングポイントでした。東京藝術大学で意匠建築を学ぶ最中、デザイン会社に4年ほどアルバイトでグラフィックの勉強をしていました。建築の空間的な要素と、グラフィックの平面的な要素を混ぜると、1+1=2が1×1=3や4になるように、表現の幅が広がることを学びました。もう一つ、進学塾のSAPIXで国語の先生のアルバイトもしていました。ここで国語を4年間教えている間に、人に伝える力と考える力がついたと思います。さらに、アルバイトでは無いのですが、(NHK、オリエンタルランドに入ってからもずっと続けているのですが)自治体が運営する、育成環境が恵まれない子供達のための養護施設のボランティアスタッフをずっとやっていました。
毎年キャンプに連れて行ったり、月一で施設のイベントをやったりと様々なことをしていました。その中でも一番力を入れていたのが、「高校生プロジェクト」というものでした。今で言うところのインターンシップを20年前、ボランティアで立ち上げました。例えば重機会社に子供達を連れて行って、職場体験させるといったものでした。
その時の仲間と共にいろんな会社に協力を求めて、活動をすることで、人に対してなにをしてあげることができるのかという奉仕の心と、アクティブにやりたいことをやるという行動力が培われたのはこの時期です。このように勤め先でその人のキャリア遍歴が9割5分見えてきますが、勤め先以外にもその人が形成される本質的なキャリア、自由にできる大学4年間での学びはキャリアの0章だったと思います。
−ではキャリア編成のきっかけと考え方の変化を教えていただけますか。
中川:
そもそも東京藝術大学の建築に入ったのは、高校生の時に建築家の安藤忠雄さんに憧れたということと、「ディズニーランドの作り方」というウォルトディズニーの本を読んだことがきっかけでした。そこには、ウォルトディズニーの考えたディズニーランドが都市工学的に評価の高いものだと書かれており、それまであまりディズニーに興味が無かった私にとって、ウォルトの考えはとても衝撃を受けるものでした。そして大学卒業後、ずっと憧れていたオリエンタルランドを受けましたが、当時2000年ごろは就職氷河期だったので、残念ながらオリエンタルランドに落ちてしまい・・・。
そしてNHKに就職後、オリエンタルランドの美術の募集が出る機会をずっと待ち続け、オリエンタルランドの技術本部に転職しました。これがキャリア編成のきっかけです。このようにキャリアを編成していく上で、大事にしていることがあります。それは、「やりたいことを持つ」ということです。ここでポイントになるのが、やりたいことは常に変化し続けるということです。歳を重ねて、様々な経験をしていくと、世界が広がり、自身がやりたいことの選択肢の幅が増えていくので、やりたいことが変化するのは当然です。なので、常に「やりたいことを持ち続ける」のが考え方として大事にしています。
−やりたいことを明確に持つことが出来ない場合、どのようにマインドセットしたらいいのでしょうか。
中川:
まずそこで言わなきゃいけないのは、本人のせいじゃないっていうことがほとんどです。「どうせ夢なんか持っても・・・」と現実を突きつけられ、「何かやりたい」という夢を持ちにくい社会になっているのではないかという気がします。とはいえ、やはり夢は持つ必要があると思っています。では、夢を持つためにどうしたらよいか。とにかく沢山の経験をすることです。アルバイト、本や人から聞いてもいい、何かの業界や様々なジャンルというものをとにかく知って、経験の幅を広げることが第一歩になります。
私は、それらを手っ取り早く知ることが出来る「業界地図」という本をよく学生に勧めていますが、これは日本のすべての業界を網羅しており、業界同士のマーケットのサイズ、関係性や給料まで、何から何まで書いてあります。やはり学生の皆さんには、自分で知識を得て、自分自身で夢を持ってほしいと思います。今私は、高校生の時に憧れた安藤忠雄さんのような建築はしていませんが、これまでの様々な経験が繋がった結果、次は教育者として自身がやってきたものを次の世代に還元したいと、教職という夢を叶えました。その傍らで、クリエイターの端くれとしての自分の活動と、新しい知識を常に学び続けて、夢を持ち続けています。
−クリエイティブに関する考えについて、今までのキャリア遍歴、学びや活動の中で培われた考えを教えていただけますか。
中川: 一般的に考えられているクリエイティブというものは、最後の工程の部分だけを切り取ったものを指しているかと思われます。しかし、クリエイティブなものを創造するというのは、最終的な形になるまでのプロセスも含めているのではないかと考えています。0から1を作るパターンや、9を10にするパターンなど、様々なスタイルがありますが、全てを通して言えることは、無数にあるそれぞれの点を最後に線でつなげることが、クリエイティブを考えるにあたって大事になります。点というのは知識を意味しており、大小様々な点が、経験という線で結ばれるという意味です。つまり、学ぶことと経験することはどちらも必要であり、紐づけて、自身の中でネットワーク化させていくことがクリエイティブなのです。
−最後に学生に向けてのメッセージをお願いします。
中川:
2006年、スタンフォード大学の卒業式でスティーブ・ジョブスが卒業生に向けて語ったスピーチで、彼が君たちと同じ大学生の時、自分が本当にやりたいことを見出し、大学を中退してまで、見事達成したという自身の経験を語っていました。これは先ほど私が言った、知識という点を経験という線で繋いで、自分の中でネットワーク化するという話とよく似ていると思います。人生には色々な瞬間という点が無限にあり、これがいつ、どのタイミングで繋がるか分かりません。点、つまり人生においての経験をたくさんすることが大事なのです。例えば、映像を志す学生たちが映像の持っているメッセージを考える時、自分の経験の領域でしかそれを考えることができないのがしばしば窺えます。自分の経験の領域を広げるためは、いいものや、いいことを見たり聞いたり、体験することはもちろんですが、本当の意味で経験の幅を広げるにはむしろ、全く自分に関係がなさそうな経験をするべきです。
実は先日、人生で初めて舞台でお芝居を体験しました。舞台のデザインのお仕事は普段やらせてもらっていますが、自分が役者として舞台に立つのは初めてです。私以外の出演者は全員演劇のプロという中で、一からお芝居というものを学びました。とあるシーンで、喧嘩をして、泣き崩れなければいけないシーンがあったのですが、私はそれを最後まで演じることが出来ませんでした。先生に何十回、模範演技見してもらっても、泣くことが出来ず、泣いているように見せるテクニックなど、たくさん聞きましたが、それでも出来ませんでした。そんな時、先生に「中川さん、泣いたことないでしょう?」と言われました。確かに、喧嘩をして泣いたなんて中学生で最後でした。
お芝居はそのような経験をしたかどうかというのが大きく関わってくるのです。それを理解していた先生に、「その代わり、顔色が青くなるくらいピンチになったことはあるでしょう」と、お芝居も表現も変えようと提案されました。すると、なんとそれが逆に大絶賛されたのです。なぜかというと、顔色が青くなるくらいのピンチは誰よりも経験していたからでした。つまり、人生のどの瞬間の経験がどこで生きるのかというのは、その時にならないと分からないのです。私のキャリアの中でも、アルバイトとやボランティアなど様々な点を作りましたが、結果として全て無駄にはならず、必ずどこかで繋がっていました。なので、自分が苦手な分野、どうでも良いと思っていることでも、経験の食わず嫌いはせずに、学生の皆さんにはたくさん経験して欲しいと思っています。
もう一つ伝えたいメッセージがあります。『艱難汝を玉にす』という言葉です。この言葉の意味は「逆境、ピンチはあなたを賢くする、あなたを宝石にする」という意味で、私はこの言葉を大事にしています。ピンチから逃げて、諦めてしまうことはすごく簡単ですが、逆にピンチを乗り越えた時、自分にとってそれは大きなプラスになる。ある程度ギリギリのところで窮地を乗り越えると、人はさらに大きくなれる、「ピンチは宝」と考えています。経験することとピンチを喜ぶこと、この二つが私の学生に伝えたいメッセージです。
記事 木村彩華
中川晃
東京藝術大学建築学部卒業。NHK番組制作局の映像デザイン部で200本近くの番組制作に携わる。オリエンタルランドに転職後、技術本部で設計部やプロジェクトチーム等、第一線で活躍。今年の4月から城西国際大学の教員に就任。
〈代表作品〉
「天才てれびくん ミュージカル」
「紅白歌合戦」
「Live Jam」
「NHKスペシャル」『激流中国』『インドの衝撃』他
「プロフェッショナル」
「ドラマ ちゅらさん2」 200程度のTV番組
東京ディズニーシー 「ファンタズミック!」 他、テーマパークの各種施設